国語科教員、日々考えを巡らせています。

国語科教員として、読書好きとして…思ったことを何となく呟いてみます。

"信じること"映画『ラーヤと龍の王国』を見て

慌ただしい毎日の中で2週間もかけて少しずつ見進めた『ラーヤと龍の王国』という映画。

 

物凄く泣いたし人生における大事なことを教えてくれました。思えば久しぶりに映画で号泣しました。

何故だろう…今の自分に刺さったのかな。

 

ネタバレになってしまいそうなので多くは書けないのですが、この映画を見て私は今まで"信じること"を大袈裟に構えていたのかなって思いました。

 

映画の中で「無理だと思って覚悟が決まらなくても第1歩を踏み出さなくちゃ」という台詞があります。

 

私にとって"信じること"は相手に自分の手の内をさらけ出すような感覚です。もし裏切られたら自分の深いところが傷つくのではないかと考えてしまう。

 

ですが、「無理だと思って覚悟が決まらなくても第1歩を踏み出さなくちゃ」という言葉で、そうか、当たり前だけど何事も少しずつで良くて"信じること"も例外ではないのだと思いました。

 

また、私は"信じること"は自分を開示することだと思っていたのですが"受け入れること"がまず第1にあるのだと気が付きました。

 

例えば誰かに傷つけられたとしても、その人の素直な気持ちを一旦は受け入れてみる。

自分のことを嫌いになりそうな失敗をしたとしても、とりあえず今の自分を受け入れてみる。

 

それが信じることの第1歩であり、その後やっばり無理だ…と思ったとしても良いのだと思います。

第1歩を踏み出すことで少しずつ変化はしていくはずですから。

 

さて、思いがけず良い映画にめぐり逢い、人生の学びを得た時、私は「今日も生きていてよかった」なんて思ってしまうのです。これこそ大袈裟でしょうか。笑

ですがこの感覚は大事にしたいものです。

成績処理ウィーク

お久しぶりです。ここ1週間は毎日3時間睡眠でした。

というのも先週末に期末考査が終了し、今日までに全ての担当クラスにテストを返却し、成績をつけなければならなかったからです。

 

採点の時間や成績処理をする時間は特別に設けられてはいないので、普段の授業を行いつつ空きコマで取り組むしかなかったのですが、1日2時間ばかりの空きコマでは終わるわけがないんですよね。

 

職場に残れるまで残ったあとは家に持ち帰って深夜の3時まで成績処理に関わる仕事をしていました。

残業ありきで組まれたこのスケジュール...どうにかならないものでしょうか。

観点別評価になったことで単純な作業時間も増えたので...どうか見直しを...

せめて成績処理ウィークというのものを設けて半日授業にするのはいかがでしょうか?

 

きっと授業のコマ数の兼ね合いもあって学校だけの判断で出来ることではないと思うので諦めていますが、いつかは改善されて欲しいものです。

 

その日までは自分の仕事との向き合い方を考えます。今回自分は主体性の評価に力を注ぎ過ぎたので、次回はもう少し簡単に評価が出来るような枠組みを考えようと思います。

 

根本が変わらないなら自分を変えるしかない!!!これが今週の激務を通して私が学んだことです。

 

それでは今週1週間お疲れ様でした。

やっとたくさん寝れる…おやすみなさい。

馬を問はず

論語』(郷党)に

厩焚。子退朝。曰、「傷人乎」。不問馬。

 という話があります。

 

たったの4文、字数にして12文字。短い文章ですが、解釈が広がる面白い話です。

 

現代語訳は大体このような感じ。↓↓↓

 

先生の家の馬小屋が火事になった。

先生が朝廷からお帰りになって、お尋ねなさることは「怪我をした者はいないか?」と。

馬については尋ねなかった。

 

 

さて、孔子はなぜ馬については尋ねなかったのでしょうか?

 

 

様々な理由が考えられますが、

「人の命が1番大切であるから」

「家畜よりも人の命を優先したから」

というのが一般的によく考えられる理由です。

 

私もこのような解釈をし、きっと多くが同じ意見だと思っていました。

しかし、授業で生徒40名に質問を投げかけたところ実に様々な意見が出てきたのです。

 

「馬は亡くなってしまっているのは確定事項だからわざわざ聞きたくなかった」

「そもそも馬小屋に馬はいなかった」

という自分には思いつきもしなかった意見もあり、驚きました。

 

 

 皆さんはどのような理由があって孔子は馬については聞かなかったのだと思いますか?

 

 

また、この文章はどこに句点を置くかで「馬について聞いた」「聞かなかった」とそもそもの文意も変わってしまうのです。これも面白いポイントです。

 

 

個人的には様々な解釈を考え、意見を共有して楽しむことが出来る、そんな国語の楽しさが濃縮された作品だと思うのですが、生徒も同じような気持ちを少しでも持ってくれていたら嬉しいです。

 

 

前回の記事で、「三十にして立つ」という『論語』(為政) の中の一文を取り上げたので、今日も『論語』繋がりで一つ話をしてみました。内容的には国語の授業のようになってしまったかな。

三十にして立つ

辻村深月さんの『傲慢と善良』の中に、

「--三十にして立つ、ですよ。」

という台詞があるのですが、今日はこの台詞を見てふと考えたことについてお話します。

 

この「三十にして立つ」というのは『論語』(為政)にある言葉です。

つい最近まで2年生の言語文化の授業で『論語』を扱っていたので、すぐにピンと来ました。

と同時に思ったのが、もし自分が『論語』を知らなかったらこの台詞に対して何も思わないだろうなぁと。

 

そして、たったの一文だけど、これを読み飛ばすか、ピンと来て何かしらの考えを巡らすか…きっとこのような瞬間が人生にはたくさんあるのだと思いました。

 

教養というのは一瞬間にしか役立たないことばかりだけど、その積み重ねで人生に深みを与えてるのだと思います。

 

今日は思いがけないところで、改めて教養の大切さに気付かされたのでした。

 

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決断

私が自分の人生を快適にするために1年に1度だけ頑張ることを紹介します。

 

私は決断力がない性格で、特に人間関係や将来に関わる決断は大小問わず避けてしまいます。

 

この先良い結果になるであろう決断も一時的に辛い気持ちが来る場合には、その目先にある「辛い気持ちになりたくない」という感情を優先させてしまいます。

良くも悪くも自分に優しい世界で生きているんです…。笑

 

そんな私ですが、やはり自分にとって得にならないことを辞める決断をしないことには良い人生を歩んでいけないので、1年に1度、元旦の日に必ず決断の機会を作ることにしています。

 

自分のあらゆる行動を見直して、無理していないか?と自分に問うのです。

 

何かを新しく始めるためには余白が必要ですよね。

その余白を作ってあげるイメージで思い切ってやめてみる、減らしてみる…ということをします。

 

その中でも「人間関係の見直し」は最も大切にしています。

人は無限に他者と関係を築くことが出来るわけではないし、全ての他者を平等に扱うことも出来ない。

だからこそ、その人その人と相応しい関係を築くことができるよう、関わり方を見直すべきだと考えています。

 

余白のある無理のない人生を送って、大切なものを取りこぼさないようにしたいです。

真剣に向き合うこと

今日は昨年度、1年間講師をしていた学校の生徒から「実際に教育現場で働いている先生」にインタビューがしたいとのことで食事に行ってきました。

 

生徒と話していると前の職場で感じた様々な思いがたくさん蘇ってきました。

それはまた別の機会にお話するとして…

 

今日聞かれたことはだいたいこのような内容でした。

 

★教員を目指したきっかけ

★働く前と後のギャップ

★教員としてやりがいを感じること

★生徒との接し方で気をつけていること

★仕事の優先順位のつけ方

★生徒への注意の仕方

 

私がこのインタビューを通して感じたことは、自分が自分の思っていた以上にこの仕事に真剣に向き合っているんだなということ。

 

聞かれたことに対して、全て自分なりにきちんと考えを持っていたことに驚きました。と同時にとても嬉しく思いました。

 

ただ何となくで仕事をしているのではない。

私は自分の考えを持って行動することは苦手だと思っていました。色んなことを考え、考えすぎたあまりに結局は考えがまとまらず、他人の意見に流されて行動してしまう。

 

でも、仕事に対しては少々違ったようです。(少々という表現は大事です。やはり流されてしまう一面もあります。笑)この気づきは本当に嬉しかったです。

 

自分なりに真剣に仕事を向き合っている、これはかなりの自信に繋がります。

そう実感できる機会をできるだけ逃さないようにしたいと思います。が、具体的にはどうすれば良いのでしょうか。

 

その答えはまだ見つけられず…。

 

 

 

 

★インタビューの回答(簡易的に)★

 

☆教員を目指したきっかけ

 

高3の時の友達が「もなかちゃんは教員に向いていると思う」と言ってくれたから。

当時落ちこぼれだった私にとっては目からウロコの発言。

 

☆働く前と後のギャップ

 

教科以外の仕事、多すぎです。本当に…。

 

☆この仕事のやりがい

 

生徒からたくさんのことを学べるところ、感謝をいっぱいされるところ。

 

☆生徒の接し方

 

授業内では厳しく、授業外では優しく、掃除の時間はフレンドリーに。

 

☆仕事の優先順位

 

他人が関わる仕事を優先して行っています。教科の準備は一日の終わりにのんびりと。

 

☆生徒への注意の仕方

 

表面上だけで注意はしない。=理由を伝えられないようなことは注意しない。

今の私に必要な力

皆さんは誰かを頼ることは得意ですか?

 

私は大の苦手です。他人を頼ることどころか他人に話しかけることすら苦手です。

自分と話す時間よりも他に優先させたいことは必ずあるはずだから…と考えてしまうあまり、声をかけることがなかなか出来ないんですよね。

ネガティブな話題なんてまず振れないです。

 

そんな私が現在進行形で困り果てていることが「相談が出来ない」ことです。

仕事に必要なことは聞くことが出来ますが、自分の悩んでること、自分が我慢をしたら済むようなことを相談できません。

 

そのせいでずっと「辛い」という気持ちを1人で抱え込んでしまい、とうとう9月の中旬に精神崩壊、日に日に増える早退、そして結果的には部活動顧問を外していただけることになり一番迷惑をかける形になってしまいました。

 

このような状態を研修を取り仕切って頂いている教育センターの先生に相談したところ、

 

「誰かを頼り、誰かと一緒に考えながら仕事をすることはこの先ずっと大切になってくるよ」

 

とアドバイスをしていただけました。

もちろん他にも今後の行動面に関して具体的なお話もいただけたのですが、この言葉が1番印象的でした。

 

今の自分には足りない力です。この先もっと難しく責任のある仕事も増えていくと思うので、この力を育んでいけるように日々精進して参ります。